エンターテインメントコンピューティング学会会場デザイン及びインスタレーション「場を読む、空気を知る」

エンターテインメントコンピューティング学会会場デザイン及びインスタレーション「場を読む、空気を知る」

2007/11/01firstview風景をつくる

 目には見えにくいがぼくたちの命を支えている大きなものが二つある。

それは「大地」と「大気」だ。

どちらが無くても人は生きる事が出来ない。

大地と大気は地球上をくまなく覆いつくし、国家や人種や人間が定める規則を超えてずっと繋がっている。そのスケールは大きすぎて感覚的に捉える事が難しいだけだ。

小さな人間であるぼくたたちがかろうじて知覚出来る大きさにスケールダウンする。

そうすると大地は“場”へ、大気は“空気”という言葉へ変わるかもしれない。

「場を読む、空気を知る」。

そんなコンセプトを掲げて学会の会場デザインをしたことがある。

エンターテインメントコンピューティング2007という学会だ。

この学会は情報工学やヒューマンインターフェイス技術などの研究発表の場だ。

その成果はゲームやアプリなどのエンターテインメント産業を始め広い分野への応用が図られる。

その運営委員及び会場デザイナー兼アーティストという複雑な立場で関わることになった。

学会のコンセプトとして私たちが紡いだのは、「場を読む、空気を知る」という言葉だ。

その言葉を、言葉ではない方法で表現するのがぼくの役割だった。

2007年10月1日から3日までの3日間、大阪大学吹田キャンパスのコンベンションセンターで学会は行われる。

普段大学の催しもので使用されるホールで400㎡ほどの広さである。

その風景を異化することがぼくに求められていた。

場も空気も、世界中どこであろうと常にぼくたちが接するものだ。
インターネットの普及でユビキタスという言葉が取り上げられるが、場と空気こそ「偏在」している。
「意識せず、いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受ける事が出来るインターフェイス。
場と空気はそういう究極のユビキタスと言えるかもしれない。
だが場と空気はあまりにも人間の生存条件と一致しすぎている。
だから普段の生活の中で忘れさられていることが多い。
生活の中に当たり前にある、見えないものはことさら意識にのぼりにくい。
どこであろうと場を失うと人は生きて行けない。
呼吸困難に陥った時には空気のありがたさを知るだろう。
しかしそれは確実にぼくたちの生命に影響を及ぼしているのだが、普段は忘れている。
失われた時にその存在の大切さに気づくのである。

しかしそんな生物学的な意味を外したとしても、場と空気はコミュニケーションの局面でも欠かせない。
人が寄り集ることでその間に形なき場と空気が生まれる。
言い換えればコミュニケーションとは場と空気の共有である。
それはテクノロジーがいくら進化しようとも、いつの時代でも変わらないものなのだと思う。
場とは見るものではなく、人々の関係性の中で読まれるものだ。
空気とは見るものではなく、体の動きや息遣い、肌触りを通じてその存在を知るものである。
それは決まった形があるわけではなく、常に流れて変化していく。
場や空気とは存在ではなく現象である。

大地は長い歴史の中で人々によって奪い合う対象として眺められて来た。
そして大気は地球規模の大気汚染や二酸化炭素の排出権などの形も含めて奪い合う対象となりつつある。
そのような時代だからこそ、もう一度大地へつながる場を読み、大気へつながる空気を知る。
それが大切なことではないかと考えた。

場を読み、空気を知るインターフェイスとして私はいくつかの素材を用意した。
一つは空気を内包する気泡シートを会場全体へ偏在させた。
もう一つは空気を含ませて整形した発泡スチロールである。
この二つは空気を固体化させて場を生み出すことを意図した。
最後に数十Kgのフェザーを会場全体に敷き詰めた。
微妙な空気の流れに応じてフェザーが舞う。
それは普段意識から外れているが私たちを取り巻く空気の存在を確実に伝える。
身体の動きに応じて、フェザーはひとところにとどまらず右へ左へと移ろっていく。
正反対に固体化した空気である発泡スチロールのキューブは流動せずにじっととどまる。
こうした現象の狭間に立つことで人々は場を読み、空気を知る。

大きなホールに何十キロの羽毛を敷き詰めた風景はおそらくこれから先の人生で見ることがないだろう。
学会の参加者も、設営に携わる人も、ホールの人もこんな風景は後にも先にもこの3日間の一度きりだ。
人生に一度しか見る事の出来ないような風景を用意すること。
きっとアーティストの役割はそういうところにある。

3日間の学会を終えた後、この膨大なフェザーの行き先はどうなったのか。
実はクロージングの時に、学会の参加者に用意していたオリジナルの麻袋を配った。
それに好きなだけフェザーを詰めてお土産として持ち帰ってもらったのだ。
これはパソコンのアームレストとして利用出来るように作っておいた。
場の空気を持ち帰るというコンセプトだが、掃除も出来てお土産もできるというおまけ付きにした。
こうして場と空気はまた偏在していくことになる。

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