カタカナ  

カタカナ  

2017/12/31もうひとつの風景

ハナムラチカヒロ、

大学の先生、ランドスケープアーティスト、俳優とさまざまな顔を持つ。

 

なぜ名前がカタカナなのか?それを質問したのは、私がハナムラと出会ってから2年も経ったころだった。想定できないような理由があるのではないかと密かに期待していたが、その答えは「名前が読みづらいから」。本当にそれだけなのだろうか・・・と、その後もカタカナ議論を仕掛けていたが、特別な答えを得ることはできなかった。

 

まなざしのデザイン」の出版にあたって著者名を漢字かカタカナのいずれかに決めなければならない状況に立たされた。ハナムラからは漢字とカタカナを併記するという提案がされた。10年以上もカタカナで活動しているのに、今さらなぜ漢字を持ち出すのだろう、一瞬頭をかすめたが、そのうちどちらかに決まるだろう。そのときの私は安易に考えていた。

 

この時点では、私はカタカナでも漢字でもどちらでも良いと思っていた。決めるのはハナムラ自身で、納得のいく選択をしてもらえれば…。ハナムラのことをご存知の方はカタカナに親しみがあるだろう。しかし、これからは漢字でリスタートするというなら、その選択も興味深い。

 

その後、編集者の山田さんから二度三度と催促があった。そして原稿校了の直前、最終通告を受けた私はハナムラに選択を促すことをやめて、提案してみることにした。

 

「カタカナでいきましょう」

 

提案したからには、その理由が必要だ。私はポツリポツリとメッセンジャーにいつもより少し多めの文章量で、その想いを送リ始めた。

 

そのときの想いを振り返りながら、ここでは補足を加えて、整理してみることにする。理由はこうだ。

 

カタカナは、シンプルでシャープな文字の形から若さや軽やかな印象がある。一方、漢字はカタカナやひらがなに比べて画数が多く複雑な印象があり、それが真面目とか信用に繋がっているように感じる。しかし、この一般的に共有されているイメージは、名前でも同じことが言えるのだろうか。カタカナの名前だからこそ、なぜ?と立ち止まって考えることもあるのではないだろうか。私自身がそうであったように。

 

カタカナ議論のなかで、私はもうひとつの理由を聞いていた。それは、外国人の名前にはカタカナが使われているということだ。ハナムラ自身、日本人と韓国人のハーフであり、複雑なアイデンティティを持っている。私たちは、名前が漢字なのか、カタカナなのかによって、日本人と外国人を区別している。人の流動がますます激しくなるなか、カタカナの日本人もあらわれてくるだろう。既にそんな戸籍もあるだろう。私たちは一体何をもって日本人とするのだろうか。そもそも日本人と外国人を分ける必要はあるのだろうか。

 

実際にメッセンジャーで送ったのはこの半分にも満たない文字量だったが、このディスカッションを通じて、ハナムラは自らのカタカナの名前がアイデンティティを背負っている、ということに改めて気付いたようだった。そして、ついに本の著者名は”ハナムラチカヒロ”に決定した。私はすぐに山田さんに返信したが、ホントにカタカナでいいのか?との確認があった。しかし、ここでもう気持ちが揺らぐことはなかった。

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